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鮫肌歴史書 第十四章「統一後の余韻」 と「あとがき」

歴史書モードになり、歴史書を眺める。

そこには天下統一の文字があった。

9ヶ月走り抜けてきた甲斐があった。

同盟員が各々にゴールドチケットを引いてはURが出て歓喜したりRトウタクが出て嘆いたりしているのを見て喜びがこみ上げるが、同時に寂しさも襲ってきた。

役目を終えたという気持ちと、最後追放のまま終わってしまった同盟員への申し訳ない気持ちだ。

放置の同盟員もいたと思うが、結果的に約40名近いDMP同盟員が追放のままゲームを終えたのだ。
※調整前と調整後の同盟員リストを保存しておき、差分を見て判断した。

歴史書モードが終わる翌日の午前10時までに、最後望まずして独立同盟となってしまった同盟員に謝罪の書簡を送った。

こうならないような調整はできなかったのか、そもそももっといい同盟運営ができたのではないか、DMPの盟主として今期最善を尽くせていたのか、自問を続けながら書簡を送り続けた。

数名だけ、その日のうちに返事が返ってきた。

「気にしないで」と言ってくれる人、「お疲れ様でした」と言ってくれる人ばかりで、罵られることはなかった。

実際には憤慨している人もいたと思うが、この返事で少し気が楽になった。

盟友の発狂がDMPにいなかったのも寂しい理由の一つだった。

発狂は最期チケット枠を辞退するために、という理由でDMPを抜けたのだが、それだけではなかった。

最終日、発狂は私に「盟主を降りるな」と言った。「鮫肌氏でなければ意味がない」と。

発狂にすれば、天下布武を飛びでたメンバーへの約束を果たすこと、その意味が薄れると考えたのだと思う。

この言葉を聞いて、シルバーチケットが発生しないことの責を負うだけであれば辞退をやめていたかもしれない。しかし洒界孔喧との約束で盟主を交代することになっていたため、それはできなかった。長安譲渡の条件だったからだ。

それでも発狂は盟主を降りることに反対したが、私は首を縦には振らなかった。

発狂は「では私のわがままも聞いてもらいます」そう言うとDMPを離反した。

発狂らしいなと思った。

発狂も私もなんだかんだで頑固なのである。

結果的に朶思大王やぶらぶら三国志のASISもチケットを手にしていない。

統一に協力した盟主達ももちろんゴールドを受け取っていない。

もらえるはずの幹部はことごとくチケットを受け取らなかった。

そういうメンバーが引っ張ったからこそ統一できたのだと今になって思う。

午前4時、DMPの盟主としての最後の仕事を終え、皆よりも少し遅めに第二期が終了した。

死ぬほど大変だった9ヶ月だったが、最高に楽しい9ヶ月だった。

ブラ三を最高に楽しんだ君主の一人だと思う。

他の同盟員もそう感じてくれていれば盟主冥利に尽きる。

第三期は中央の覇権争いに絡まず、田舎暮らしをすると決めていたので、久しぶりにブラ三のことを考えずに布団に入り眠りについた。




「あとがき」

想像以上に長くなってしまいました。
もっと笑いも盛り込もうと思いましたがぜんぜん笑いどころないですねw

やはり後半にいくほど記憶は鮮明で、描写が細かくなっていると思います。メモなどは残していなかったので、全て記憶頼りです。あ、一部スカイプのログとか見直したりしました。

それにしても最後の2週間はとんでもなく濃い一週間でした。

名前は歴史書に出ていないですが、本当にたくさんの素晴らしい盟主、君主と知り合うことができ、ブラ三やっててよかったなと思います。

今期はまったりとプレイしており、前期仲良くなった同盟のオフ会などに乱入したり、ブログの更新をがんばったりして、別のブラ三の楽しみ方をしています。

盟友からは「前期統一なんかしちゃったもんだからモチベーションがあがらねえよ~」と愚痴を言われるのですが、実は前期統一を目指すと決めた際、何名かの人から「統一しちゃうとブラ三が来期以降つまんなくなっちゃうよ」と言われ、一度は統一を諦めようとしたことがあります。

それでも統一を目指した理由は、モチベーション維持のためにあえて統一をせずに来期以降に目標を持ち越すというのは、来期もプレイすると決めている人のエゴだし、常に上を目指すDMPの方針とは違うと思ったからです。

第二期でゲームを引退する人もいるし、もしかすると実生活の理由で第三期がプレイできない人もいるかもしれない、そういう人たちに最後に統一を見てもらいたいという思いがありました。

統一なんて狙っても中々できるものではないですから、モチベーション維持のためにあえて狙わない、なんて贅沢なことは言わずに、可能性があるのならやる、それがDMP魂だぜ!ポンキッキーズ!
※といっても最後の判断は同盟員に委ねましたが

ま、なんだかんだで盟友達は今期も活躍してるようです。

みんなブラ三中毒だね!www

ちなみに来期(第四期)のことは聞かないでください。
なんにも考えてないのでw

以上、長々と駄文をお読みいただきありがとうございました。

鮫肌歴史書 第十三章「天下統一」

6月20日の日曜日、本拠周辺では味方がかけつけ、前夜攻撃をしかけてきていたタコトローへの反撃を開始していた。

かけつけてきたのは元ぶらぶら三国志のドリラーである。超心強い。
インタビュー記事のドリラー

ほどなくして本拠地周辺は安泰となった。

残された仕事は統一報酬であるゴールドチケットの枠調整だ。

この日、14時13分に盟主を洒界孔喧に交代することになっていた。

交代ボタンは押していたので時間の変更はできない。

洒界孔喧は14時ジャストから篭城を設定しており、ゲーム終了の19時まで落ちることはなくなる。

これでDMPが配下になることは100%なくなるのだ。

正午、DMPとぶらぶら三国志と四面楚歌と腰鍛高譚のチケット対象者以外を一旦同盟から出てもらうため、脱退申請のきていない同盟員を、対象者リストを見ながら一人ずつ追放していく。

ゴールドチケットの枠調整は簡単に言うと、チケット対象者以外が一旦同盟を出て、ポイントをリセットして戻ってくる、というものだった。

DMP、ぶらぶら三国志のメンバーはかなりポイントを稼いでいたので問題なかったが、腰鍛高譚、四面楚歌、遅れて上がってきたぶらぶら三国志のメンバーは、DMPに入る前に拠点を領地に戻しておき、DMP加入後に再建築でポイントを増加させるという方法で上位に浮上してもらっていたが、わずかなポイントしかなかった。

250名近い同盟員を一気にチケット対象者100名に減らすための作業がはじまった。

半数は自ら脱退申請を出してくれたので許可するだけだったか、残る80名ほどは追放しなければならなかった。

追放ボタンを押すたびに胸が押しつぶされそうだった。おそらくINできずに戻ってこれない同盟員がいるのはわかっていたからだ。

事前に調整の手順はALLYで連絡しておいたが、戦争しながらの枠の調整は困難を極めた。かなりタイトなスケジュールで、毎日小まめにINしている人間しか対応できない手順だったのだ。

盟主交代まで1時間を切り、一人ずつチケット対象者でないことをリストで検索をかけて確認し、追放ボタンを押す。かなり時間がかかり、盟主交代までに間に合うか微妙だった。

14時8分、全員の追放を完了。
盟主交代まで残り3分だった。

後は戻ってくる同盟員の加入申請にOKを出すだけである。

この時ぶらぶら三国志の龍政が補佐となって調整の手助けをしてくれていたので、申請の許可作業は彼にまかせた。龍政がいなければ最後パンクしていたのは明らかだったので、とても感謝している。

同盟員が一人、また一人とDMPに戻る姿をみて安堵したが、やはり戻ってこない同盟員も大勢いた。

NPCへの敵襲、武将砦への敵襲、城への敵襲は止む事なく、じっとゲームが終了するのを待つ。

終了間際、防衛のためポイントを稼いでしまい、チケット対象外のメンバーが100位以内に数名上がってきていた。

もう盟主の座を降りていたので眺めることしかできなかったが、その対象外のメンバーは再度追放されていった。

最終的に対象外の数名がチケットを獲得、その分正規の対象者が受け取れないことになる。

洒界孔喧は多忙にも関わらず、スマートフォンで必死に操作してくれていたが、状況的にどうしようもなかったと思う。

18時55分、なぜか自分もポイントを稼いでおり、100位以内まであがっていることに気づく。おそらく敵襲による防衛ポイントだろう。

すぐに即脱退申請を出し、再加入でまたポイントリセットしてなんとかDMPに戻った。

19時00分、ついに天下統一は達成された。

第十四章へ続く

鮫肌歴史書 第十二章「7つの城」

統一が見えたとはいえ、一切余談を許さない状況だ。

タコトローは対ぶらぶら三国志との戦争は継続していたので、合弁したDMPとも自ずと戦うことになっていた。

残り3日でDMP盟主としての仕事量は壮絶なことになっていた。

・四面楚歌同盟員の引き上げと追放(チケット対象者以外)
・no-con!同盟員の引き上げと追放
・長安の譲渡
・6城の防衛指示
・自分の本拠地の防衛強化
・チケット配分のもろもろ調整
・各種関係同盟との調整と書簡
・ブログの更新

サラリーマンに与えられた自由な時間は少ない、帰宅後も激務である。
唯一さぼれるのはブログの更新だった。当然さぼった。

各案件ごとのskypeの窓の数は余裕で2桁に達していた。IRCも入れるとすさまじい数である。

・四面楚歌の引き上げと追放
四面楚歌のによるどの全面的な協力で、それほど手間はかからなかった。
間違って関係ない人を引き上げないことだけに注意した。それでも間違ったが。

・no-con!の引き上げと追放
申請があり次第引き上げと追放を行った。盟主のもくこくはさいごまで終戦協定を遵守してくれた。新生no-con!はno-con!2という同盟を作り、返還を約束した元々保有していたNPCの回収を行った。

・長安の譲渡
2万ダメージの兵器と、念のための殲滅部隊を手配。

・6城の防衛指示
敵対同盟に隣接している同盟員以外には、全力で城へ防衛兵力を送るように指示。あとは守るだけだ。ただし、この時点で長安の譲渡許諾は万全を期して極秘なため、DMP同盟員にはただ防衛兵を送るようにだけ指示した。明らかに裏で話がついたのはばればれだったが。

・自分の本拠地の防衛強
自身で兵力4万強、城まわりの領地を可能な限りレベルMAXにする。援軍もいれると10万弱の兵力で防衛していた。タコトローの領地が近くにあるのが懸念だった。

・チケット配分の調整
チケット配分予定の同盟は、DMP、ぶらぶら三国志、四面楚歌、腰鍛高譚の4同盟だった。戦争しながらのチケット調整の方法に頭を悩ませる。

・各種関係同盟との調整と書簡
対no-con!戦で共闘してくれた絶対領域に、足場の問題から朱雀砦ではなく青龍砦を譲渡することになっていた。他案件多数。

このころ睡眠時間は一日2時間を切っていた。あと2日・・・後2日で終わる・・・。

そして長安が無事陥落。城が7つ集まってもシェンロンは現れなかったが重いプレッシャーが現れた。

統一のために関係した人数は述べ1000人を超えている。重たい。

その日の夜、やる気!同盟から戦線布告を受ける。

やる気!同盟は元々no-con!に吸収されていた同盟で、流れでDMPの配下となったが、独立後に新生no-con!2に入らずにやる気!として独立し、朱雀砦を目標に戦争を仕掛けてきた。

元々朱雀砦はno-con!のものだったので周囲の砦はほとんどやる気!かno-con!のもので、さらに統一に関係ない武将砦への防衛兵力の配備は一切していなかったので、戦争もくそもない状況だった。そして朱雀砦はあっさりと落とされた。

落とされた時間がゲーム終了まで24時間を切っていたので、保護期間のため奪還は不可能だった。どちらにしろ奪還する戦力は残っていなかったが。

DMPへの報復か、単に武将砦がほしかっただけか、どちらにしろ、no-con!との戦争では、遺恨が残らないようにと全力の配慮をしたつもりだったが、うまくいかないこともある。

この時スカイプで、一期梁山泊の幹部だった盟友大西がつぶやいた。

「彼らにも彼らの正義があったんでしょう」

さらにまったく聞いたことのない同盟からも宣戦布告を受ける。

DMP保有のNPC砦の奪取を目的とした戦争だった。

タコトローも長砂に襲い掛かっていた。

練馬の呑兵衛がつぶやく。

「統一同盟って、追いはぎにあうんですねw」

笑えないが笑っておいた。

その夜、さらに私の本拠地に向けてにタコトローの侵攻を受ける。
なんとサッカーワールドカップ日本代表戦直前である。

テレビはつけていたものの99%はPCの画面を見続けていた。
このゲームは近距離での領地戦になるといきなりRTSのような操作量が求められる。

敵は5名ほどが連携して領地を削りにきていた。こちらは私と本拠地が真横の朶思大王の2名で迎え撃った。

朶思大王「いやー、最後の最後でボスと一緒に戦えるとはw」

鮫肌「そういやほとんど戦闘で絡んでないねw」

盟主をやっていると中々前線で戦わないので、戦闘の場で一緒になることがなかったのだ。

本拠地にもタコトローから30近い敵襲がついた。この敵襲の中に強烈な主砲が混じっていて、さらに隣接を許した場合、最悪陥落もありえる。

背中にピシッっと寒気がはしったが、敵襲と同時に味方の援軍も50近く向かってきていた。

皆城に防衛用の兵士を送っているので、それほど大量の兵士は持っていないはずである。あるとすれば自城防衛用の兵士だ、それをこちらに送ってくれたのだ。

夜中にPCに向かい、一人でもくもくと戦っていたが、自分は一人ではないのだ。画面の向こうに数百人の仲間がいると思うと気合が入った。とりあえず寝るのは諦めた。

そしてタコトロー主砲の本拠地への着弾が0時以降と読み、0時から篭城を設定した。

味方の援軍は続々と到着し、最終的に15万以上の兵士が本拠地に集まっていた。篭城で出兵できない間、朶思大王が孤軍奮闘してくれていた。

その時、7つの城の中で最も敵襲アラートの数が多かった建業に兵士が着弾した。
(全ての城に何かしら敵襲がついていた)

対ももんが戦で共闘した砂上の楼閣の兵士だった。

このとき砂上の楼閣の持っていた建業の隣接は、安全確保のため全て数日前に譲り受けていたので全てDMPのものになっていた、兵器は発射できないはずである。これは誤爆だろうか。

1時すぎ、砂上の楼閣の本気の主砲が連続して着弾しはじめた。目を疑ったが続々と着弾する。

しかし建業の10万以上の防衛兵士とさらに篭城の効果で主砲は全て溶けていった。損害は2万程度である。

主砲が着弾し終えると兵器も着弾した。隣接を譲るまえに遠方より兵器を発射していたようだ。

全てが溶けたあと、砂上の楼閣の外交官とチャットの場を設けた。

過去建業をめぐっていろいろなことがあったが、砂上の楼閣はDMPに裏切られたと思い今回の突撃を行ったとのことだった。話の中で、砂上の楼閣の言い分も理解できた。

たとえ裏切っていないとこちらが言い張っても、言った言わないの水掛け論になるのは目に見えていたので、深く追求するのはやめた。

主砲を散らした砂上の楼閣の同盟員をねぎらうよう声をかけて会話を終えた。
同盟員からは甘いといわれたががこれでよかったと思っている。

この日の一連の出来事で、ふと一つの言葉を思い出した。

正義の反対は別の正義。

戦争ゲームに正義だの悪だのを持ち込むのはナンセンスかもしれないが、率先して悪を行おうとする同盟は少ない。全ての同盟がそれぞれの思惑で、これが正義だ、そう思って行動する。

この日はもう寝ないつもりだったが、午前5時、タコトローの攻撃が止んだ。統一阻止の突撃なのに寝るのかよ、とモニタに向かって突っ込みを入れた。仮眠を2時間とれたのでありがたかったのだが。

そして、ブラウザ三国志 mixi統合1+2鯖 第二期最後の朝日が昇る。

第十三章へ続く

鮫肌歴史書 第十一章「長安の行方」

no-con!がDMPの配下となったものの、DMPは元々no-con!に対しての恨みなどなく、許昌を手に入れるための国是としての戦いだったため、まっさきに盟主もくこくに解放の打診をした。

一度配下になると、同盟としての枠は二度と独立することはできない。そのため、解放の方法は、一旦no-con!同盟員を引き上げて追放し、独立君 主となってから新たにno-con!を結成するという方法しかなかった。(他の同盟に落としてもらうことでも解放されるが、配下を移動するだけで真の解放 にはならない)

許昌と朱雀砦以外のno-con!が元々もっていたNPCも全て返還すると約束した。

戦争をして遺恨を残さないというのはとても難しいが、可能な限りno-con!との遺恨を残さないように全面的な独立の支援を行った。

統一を目指すのなら朱雀砦は必要なかったが、no-con!戦で共闘してくれた絶対領域への報酬として必要だった。


この時期、反統一派の一角である西晋同盟が四面楚歌同盟に宣戦布告。ギョウを奪い、統一を阻もうという手をうってきた。

ぶらぶら三国志は急遽同意のもと、四面楚歌を配下化し保護した。

当時ぶらぶら三国志と西晋はシステム不可侵を結んでいたので、西晋はぶらぶら三国志の配下となった四面楚歌を攻めることはできなくなった。

なんと1日たたずに西晋VS四面楚歌戦は終わった。

こうして、ぶらぶら三国志は襄陽・洛陽・成都・ギョウを、DMPは建業・許昌を保持することになった。

ゲームの残り期間は5日。

まずは6つの城を1つに集めなければならない。

ぶらぶら三国志とDMPの国力であれば、兵器を使った譲渡も問題なく遂行できたが、時間がなかったため、DMPがぶらぶら三国志を配下化することで一発で城を移動させることにした。

メリットを考えるとこの方法がベストである。

一番大きなメリットは、援軍として配置されているぶらぶら三国志の4つの城の兵士は避難させずにそのままにしておくことがでることだ。

通常は城の譲渡の際、援軍を撤退させるタイミングが発生するが、その隙を狙って横取りされれば全てがパーである。

さらにDMPは真正友情と不可侵を結んでいたので、鯖一の巨大同盟である真正友情の脅威が完全に無くなるのは大きかった。

ぶらぶら三国志盟主のASISが当時言っていた「本来あるべき配下同盟の役割」というのが身にしみた。中々言えるものではない。

そしてぶらぶら三国志を配下化した。これでDMPに城が6つ集まった。

DMP単体では6つの城を守ることなど到底できないが、配下となったぶらぶら三国志とDMPが共同で6つを守る体制となった。

そして、ぶらぶら三国志の同盟員を可能な限りDMPに引き上げを行う。

DMPの同盟員とぶらぶら三国志の同盟員の連携をスムーズに行うため、城持ち同盟の資源ボーナスをできる限り多くのメンバーに享受してもらうため、最終的なチケット配分のためである。

先行してあがってきたぶらぶら三国志同盟員の協力もあり、同盟レベルは17(16だったかな?)となった。この時点で同盟ランクが、真正友情を抜いて1位となる。

残りあと4日、長安攻略のため、ぶらぶら三国志の幹部によって同時並行を前提とした5つの作戦が立案されていた。

長安周辺は画面のほとんどが砦で埋まるほどの防衛布陣で、どう見ても攻略は困難だった。

普通は「無理」の一言で終わる状況である。さらにタコトローは、引き続きぶらぶら三国志と戦闘を継続していた。

しかし、城をDMPに集めた以上、もう後には引けない。

「統一は無理そうなので、城はそれぞれの持ち主に返します」そんなことを行う時間はもう残されていないのだ。

ほぼ不可能に思える長安奪取も、現在のぶらぶらと合弁したDMPの国力であればもしかするともしかする。四面楚歌もいる。その他多くの協力同盟もいる。

成功確率は、皆一様に「五分五分」と感じていた。

そして長安攻撃の直前、長安を保持する腰鍛高譚の盟主、洒界孔喧と私で会談することにした。

最後のお願いである。

洒界孔喧とはこれまで腹をわって話しあってきた。今回もそのつもりでぶっちゃけた。

・このままだとDMPとぶらぶら三国志は腰鍛高譚を攻めること
・たとえ長安が落とせなくとも、腰鍛高譚の同盟員の半数近くは陥落すること
・鮫肌個人は腰鍛高譚を攻めたくないこと
・統一に協力してくれたら、チケットの分配で腰鍛高譚同盟員にもメリットがあること
・腰鍛高譚の要望は最大限受け入れること
・なによりも統一が見れること

などなど、客観的事実と個人的な感情をぶつけた。

洒界孔喧曰く、腰鍛高譚の同盟員の多くは玉砕を覚悟しているとのことだった。
城あ明け渡すぐらいなら戦って死ぬ。その気持ちは痛いほどよくわかった。

ゲームだからこそ皆悔いは残したくない。
腰鍛高譚にとって悔いの残らない終わらせ方とはなんなのか。

洒界孔喧はかつてないほど悩んだと思う。
統一を選んだ場合のメリットデメリット、拒んだ場合のメリットデメリット。

同盟員がぼろぼろと落とされていくことの辛さや、負け戦の時の同盟内の悲壮感は想像以上にキツいものだ。

私はそれをわかっていて選択をせまったのである。

洒界孔喧「こんなキツイ話持ってきてもぅー><」
鮫肌「ごめん><」

そして、洒界孔喧は首を縦にふった。

チケットの配分はもちろん、統一同盟の盟主の座を譲ることと、同盟名に腰鍛高譚を残すことで納得してくれた。

洒界孔喧の名誉のために付け加えると、彼は盟主の座の要求など一切しなかった。最後まで同盟員と腰鍛高譚という同盟の利益のみ考えていた。

私もASISも盟主の座に一切固執していなかった。
私はDMPが制圧トップになればいい、ASISは統一が実現すればいい。それだけだった。

さらに私は、統一報酬にゴールド100枚+シルバーチケットも入ると勘違いをしていたため(実際はゴールド100枚のみ)、その責を負う意味でも盟主を降りるつもりだったので、盟主の座を譲るというのは合理的だと考えた。

洒界孔喧の最後の言った言葉が今でも印象に残っている。

「盟主の座・・・それで、自分を納得させます」

こうして腰鍛高譚は長安の譲渡に承諾し、最終戦争は回避された。

長安攻略のために準備されていた兵力をこれで城の防衛にまわせるようになる。

はじめて天下統一が現実的なものとして目の前に現れた瞬間だった。

第十二章へ続く

鮫肌歴史書 第十章「6月10日」

DMP内部では、この日までにいろいろと揉めていた。私が外交を隠密に進めていたため、情報が降りてこないという同盟員からの不満も噴出していた。

元々情報は定期的に公開していたが、状況がシビアになるにつれ、外部に漏れるわけにはいかない情報が増えてきており、幹部だけに公開、中には自分ひとりで抱える情報も出てきた。

情報を全てオープンにし、全員で意思決定する民主主義同盟運営、幹部だけで意思決定する幹部同盟運営、どちらも一長一短だとは思うが、ゲーム後半、私は後者に傾いていた。

本気でやっている人ほど不満が出るはずだ。何も聞かされずに「待て」といわれ続けるほどフラストレーションがたまることはない。

毎晩悩み続けたが、最後の同盟の方針を決める判断は同盟員に委ねることにした。同盟員全員で決をとるのである。

漏れたら漏れたでどうにかなる。それより全員悔いが残らないようにしようと思った。

最後の選択肢の中には、ぶらぶらと敵対、何もせずにこのままゲーム終了まで待つ、などこの時点で考えうるあらゆる選択肢を用意したつもりだ。

結果は、大差をつけて「許昌奪取、統一に向けて突っ走る」が選ばれた。

なんだかんだでDMPの同盟員はやる気まんまんなメンバーが多かった。

そしてDMPとno-con!が開戦、真正友情がぶらぶら三国志の成都へ突撃する日がやってきた。

19:00
真正友情と、共闘グループ(真正友情同盟を筆頭にした巨大連合)の400以上の部隊が成都に突撃開始。敵襲400とか大人気にもほどがある。
ぶらぶら三国志は成都に40万の兵士を詰め込み迎え撃つ。タコトローと戦争をしながら城に援軍で40万詰め込むのである。どんな国力だ。

21:30
DMPがno-con!に宣戦布告。宣戦布告から攻撃開始まで30分。ほぼ奇襲である。

22:00
DMPがno-con!に攻撃開始。狙いは許昌。
22:00着弾で許昌、no-con!盟主、重要拠点へDMPの斥候部隊が総数3万以上の斥候騎兵を派兵。偵察結果は、許昌は防衛20万、no-con!盟主は3万・・・・3万!????

そもそもDMPが攻撃をしかけてくることは容易に想像できたはずなので、てっきり大量の防衛兵で固めていると思っていた。許昌は案の定だが、盟主の防衛兵力の少なさに驚いた。

許昌、盟主両方の援軍が大量の場合、全域で個別にno-con!君主を落として、総力を削った後に許昌を狙うつもりだったが、運良く盟主の援軍が少ない。時間が大切な現状、電撃しない手はない。

戦闘開始から15分、no-con!盟主電撃戦の実行を決断。
事前に計画していた作戦を実行した。

1.no-con!盟主の2マスに領地を持つno-con!同盟員を落とし配下化し足場を作る
2.主砲による本拠隣接領地への突撃領地化
3.隣接を砦化し隣接の長時間確保
4.電撃主砲部隊による中距離からの主砲と兵器部隊の発射

23:00
no-con!盟主への隣接に成功する。あまりの速度での隣接成功に、DMP一言掲示板は盛り上がる。
「はえぇええええええええ!」
「GJ!」

このno-con!盟主への隣接は、朶思大王指揮のもと、元ももんがの部隊がメインで実行したのだが、さすがというべき連携だった。

この時間帯、真正友情の成都大突撃も並行して行われており、鯖が不安定になり、こちらの作戦にも影響がではじめる。

前期建業突撃時の悪夢が脳裏をよぎるが、大きな問題は起こらず、なくなんとか作戦を続行できた。
運営による鯖の増強か鯖チューニングのおかげだろう。運営の皆様お疲れ様です。

26:00
DMPは全域でno-con!同盟と電撃戦を開始していたため、既に10名以上のno-con!君主が陥落していた。

DMP陣営と隣接するno-con!君主の座標を元に、全9師団にわけて戦闘を行っていたが、全地域でかならずこちらが勝つか、すくなくとも拮抗するように分担ししていたのだ。

こうした事前準備はハマれば大きな成果をもたらす。全ての地域を把握し、適切な師団分けを行ったのは一期からのつきあい、当時は戦略担当の発狂である。こうした一段上の視点から戦略をたてれる人材は稀である。

そして26時すぎ、ついにno-con!盟主を陥落させる兵器が着弾した。

が・・・・篭城で回避された。

おそらく26時台(2:00)からの篭城開始だと思われたので、7:00以降に着弾する兵器部隊の結果を待った。兵器着弾前にはDMPの誇るきむの主砲が待ち構えていた。

翌朝9:00
no-con!盟主陥落。no-con!はDMPの配下となった。

戦闘開始から11時間の電撃戦だった。

no-con!君主は20名弱が陥落し、DMPの陥落者は0。会心の戦争だった。

戦争開始時にINできずに、朝起きて参戦しようとINしたらもう終わってた、という同盟員も数名いた。

興奮しつつも、ほっとした気分で成都の様子を見た。

そこはかつてない地獄絵図が広がっていた。

合計400万の真正友情、及び共闘グループの兵士達の死体、数万の破壊された兵器が散乱し、あたり一面に死臭が立ち込めていた。

成都の中のぶらぶら三国志防衛兵の被害は15万人。

400万人対40万人の戦争で、である。

成都は敵のメイン部隊着弾時間帯に完全に篭城をかぶせ、実質80万人の防衛力に強化(篭城で防御力2倍)、さらにランチェスターの法則が炸裂して、死者比率が恐ろしいことになっていた。

ぶらぶら三国志兵士1人の被害で26人殺した計算になる。26倍だ。

かくして、思いもよらない速度で許昌が手に入り、真正友情の脅威が去り、残すは長安だけとなった。

この後、DMPは真正友情と不可侵を結んだ。

第十一章へ続く

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