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鮫肌歴史書 第九章「談合統一から武力統一へ」

城持ち同盟による談合会議直前、この時城の行方が不明確なのは腰鍛高譚の所持する長安だけになっていた。

腰鍛高譚の盟主とは交友があったため、統一への協力の打診を私がすることになった。

何度かの書簡のやりとりの結果は、なかなかの手ごたえだった。ただ、結論はでないまま城持ち同盟による会合の日が訪れた。

no-con!、ぶらぶら三国志、四面楚歌、腰鍛高譚、バズモ親衛隊、DMPの各同盟から、盟主含む幹部がIRCに集った。

統一に向けての城の持ち寄り方、チケットの配分、そして長安の行方、話すべきことは多かった。

わかりやすく会談の結果を述べると

no-con!「DMPが母体なのであれば協力できない」
腰鍛高譚「ごめん、統一に協力できない」
四面楚歌「・・・」
バズモ親衛隊「・・・」
ぶらぶら三国志「まじで」
DMP「まじで」

かくして談合による統一はご破談となった。

この時点での勢力図を整理する

統一派
同盟:ぶらぶら・四面楚歌・DMP・バズモ
保有城:襄陽・洛陽・成都・ギョウ・建業

非協力派
同盟:no-con!・腰鍛高譚
保有城:許昌・長安

反統一派
同盟:タコトロー・他多数

※上記同盟以外にも、統一に協力する統一派同盟、統一を阻止するタコトローを中心とした反統一派など、二桁に及ぶ同盟が存在し、決して上記名前があがった同盟だけで動いていたわけではない。全部で30近い同盟が動いていたんじゃなかろうか・・・。

残り10日。許昌と長安は談合で手に入らなくなった。

許昌はまだしも、長安一帯は腰鍛高譚の砦がびっしり敷き詰められており、武力による制圧はかなり厳しい。

DMPはももんが戦のあとたっぷり休養していたが、ぶらぶら三国志はずっとタコトローと戦争を継続しており、さらに真正友情という同盟レベル18、同盟員400人の超巨大同盟との関係が悪化していた。成都をめぐる争いだ。

ぶらぶら三国志がいかに強いといえど、タコトローという大同盟と戦争しつつ真正友情の攻撃を受ければ危険だ。

そもそもこんな状況の中、残り10日で城持ち同盟2つを落とすなど不可能に思えた。

しかし誰も「無理だ」と言うものはいなかった。

やるしかない。

非協力派と反統一派は、お互いの利害の一致から手を組むことが容易に想像できたし、長安の攻略に必要な時間を考えると、迅速な行動が必要だった。

建業はこのタイミングでバズモからDMPに譲渡が完了した。

鮫肌「DMPは許昌を狙える足場はある、できるだけ早く落としてくるから待ってて」
ASIS「わかった、長安攻略の準備しておく」

城持ち同盟会合から3日後、DMPはno-con!に宣戦布告。この時ゲーム終了まで1週間。

そして同日、ついに真正友情がぶらぶら三国志の持つ成都に総攻撃をしかけてきた。

統一に向けての明暗を分ける1日のはじまりである。

第十章へ続く

鮫肌歴史書 第八章「制圧トップへの道」

ももんがの完全な編入が完了した時点でゲーム期間はあと1ヶ月残っていた。

mixi1+2鯖は3+4鯖と統合のため、第二期は5ヶ月もあった。
もし通常の4ヶ月なら、ここでゲームが終わっていたのである。

この時点での城の保持状況を整理しておく。

no-con!同盟
-許昌 (88,88)

ぶらぶら三国志同盟
-襄陽 (88,-88)
-洛陽 (0,0)
-成都 (-88,-88)

四面楚歌同盟
-ギョウ(-88,88)

腰鍛高譚同盟
-長安 (-220,0)

バズモ親衛隊同盟
-建業 (220,0)

DMP同盟
-武将砦いっぱい(城なし!)

DMPはこの時点で城を一つももっていなかったが制圧ランクはぶらぶら三国志についで2位だった。

建業はというと、砂上からバズモに譲渡されていた。

バズモ親衛隊の盟主とはこの頃毎晩話し合いをしており、最終的に建業をDMPに譲渡してくれることが決まっていた。城を持つことの危険性、DMPが統一に絡みそうであることなどが理由である。

そう、この頃ぶらぶら三国志主導のもと、城持ち同盟談合による統一の話がでてきていた。

no-con!同盟と四面楚歌同盟はぶらぶら三国志と協力関係で、あとは建業と長安さえ話がつけば、なんと統一が可能な状況だった。

そして、第二期開始当初からの問題がついに目の前にやってきた。

DMPの制圧トップ、ぶらぶら三国志の統一、同時にかなえることができない目標である。

DMPは制圧2位に位置していたが、建業を加えたとしても、城3つのぶらぶら三国志を抜くことはできない計算だった。

あと一つ城がいるのだ。

DMPは足場の問題から、狙えるのはno-con!の許昌かぶらぶら三国志の洛陽だった。

DMPが制圧トップになる、これは盟主として同盟員全員にコミットメントしている必達目標である。

談合で城を統一同盟に受け渡すことは、同盟への裏切り行為となる。

しかしぶらぶら三国志には恩がある。協力をしたいし、個人的にはこのカオスmixi1+2鯖で統一を見てみたかった。

当時ぶらぶら三国志は、反統一派の旗手である同盟タコトローと長い泥沼の戦争をしていたため、仮にDMPが準備して洛陽を狙えば、落とせたかもしれない状況である。

死ぬほど悩んでいた時に、ふと思った。

ぶらぶら三国志は「統一が見たい」のであって、ぶらぶら三国志単体で統一を成し遂げようとしているのではなないのではないか。

ぶらぶら三国志は今期一度も武力による侵攻をしておらず、ほとんどの戦争が防衛戦争だった。また、外交統括のmiddleが広く外交網を敷いて、no-con!や四面楚歌といった同盟との協力関係を築いていたのだ。

そしてひねり出した。

「DMPを統一同盟の母体にしてもらう、それなら、両方の目標が実現できる。」

DMPという名で制圧トップを獲得し、ぶらぶら三国志の見たい統一も実現する。

思いついた瞬間、一人で吹いた。ありえない。

「統一が見たい」だけとはいっても、ぶらぶら三国志の同盟員が納得しないだろうし、こちらに都合がよすぎる。しかしそれ以外にDMPとぶらぶら三国志の衝突を避ける方法が見つからなかった。

とりあえずダメ元で伝えてみた。

「無理」の一言で終わると思っていたので、そうなれば、DMPは許昌か洛陽を攻めることになる。

洛陽は隣接していたし、★9の城なので制圧ポイントの観点からも、ぶらぶら三国志保有の洛陽攻めが現実的だった。

同盟員からは何も問題ないといわれたが、個人的にはぶらぶら三国志に恩を仇で返すことになると思っていた。

目標に向かい4ヶ月必死で戦ってきた170名の同盟員の願いを裏切るわけにはいかない。

洛陽を攻めることになった場合、最後盟主の座を退くつもりだった。(自分勝手なケジメだが)

なんでゲームでこんな苦しまにゃいかんのだと何度かブラ三を呪った。

そしてぶらぶら三国志から返ってきた答えは「OK」だった。

この日はっきりと狂喜したのを覚えている。

統一できるからではなく、残りの数週間、”前向きに”ゲームをプレイできることへの安堵だった。

同盟員への約束も果たせ、ぶらぶら三国志と敵対することもなく、なんと統一まで見れる。個人的に、悲観的な要素が消えた瞬間だった。

しかし、この決断を下したぶらぶら三国志の幹部、及び同盟員の心情は察するに余りある。畏怖の念を込めて感謝したい。

後は全城持ち同盟の意思が確認できれば統一は目の前である。

第九章へ続く

鮫肌歴史書 第七章「ももんが!との死闘」

同盟内の揉め事もおさまりそうかというタイミングで北平の攻略が開始された。

揉めてはいてもスケジュールは守る。それがプロフェッショナルである(キリッ

とりあえず北平攻略が終われば念願の城(建業)だ、一致団結して城を攻略してまた元通りに、と楽観的なことを考えていた。

そしてももんが!同盟より戦線布告が届いた。

簡単にももんがの状況を説明すると、ももんがは規模こそDMPより小さいものの、同盟ランク1ページ目の同盟で、1期から戦争に強いという噂を聞いていた同盟だ。

そして今期ももんがは建業付近に大量に砦を布陣していた。建業付近はももんが以外に中堅同盟のバズモ親衛隊、砂上の楼閣の2同盟が砦群を築いていた。つまり4つの同盟がひしめき合うカオスな地域になっていた。

DMPはというと、防衛布陣をもっと早く敷くべきだったのだが、正直怠ってた。
上記3つの同盟とDMPだと、建業付近ではDMPが最も砦の数が少なかったと思う。

囲い込んでるからと安心するのは大間違いだった。今は戦乱の世なのだ。

後からももんがの人に聞いた話だが、DMPの情報はももんがに漏れており、北平の攻略にあわせて宣戦布告してきたらしい。多くの主砲が北平に移動中なのだ。

急遽防衛体制をとったものの、準備万端で攻め込んできたももんがを跳ね返す戦力は建業付近にはなかった。

数日で建業付近の砦、領地は一掃され、近くに本拠地があった2名のDMP同盟員が落とされた。

唯一★9の領地が一つ残り、援軍お詰め込んで、最後までここだけは落ちなかった。
所持していたのはDMPの「みるくちゃん」。

個人的に「みるくちゃんのブラックホール」と呼んでいた。
(援軍詰め込んだレベルMAXの★9は全ての敵兵を飲み込むため)

そして建業はあっさりとももんがに攻略されてしまった。
宣戦布告から3日ほどしかたってない。

DMP勢力の一掃と建業の攻略は一連の作戦だったのだろう。

DMP内部では、ももんがへの怒りと、防衛を怠っていたことへの自責(主に幹部)、鮮やかな一掃作戦と建業攻略の手際のよさから、ももんがやるなぁ、という雰囲気だった。と思う。

そしてももんがより停戦交渉の書簡が届いた。

しかし内容はほぼ降伏勧告である。

大人な一部のDMP同盟員は、ももんがに洛陽攻略の手助けしてもらおう、という人もいたが、ほとんどの同盟員はこの書簡を見て激怒した。

よろしい、ならば戦争だ。

当時の同盟員への檄文はこちら

「鮫肌が狂った!」と言われたりした。その後ちゃんとまともな檄文も送った。
ネタをネタと(ry

この時の対ももんが戦争でのDMPの目標は

落とされた二人の救出>ももんが討伐>建業の奪取

とした。

直前に同盟存続を揺るがしかねない内部の揉め事があったため、この戦争をきかっけにして、また一つにまとまらないか、という盟主としての思惑もあったので、最優先を「仲間の救出」にした。

次に怒りの対象であるももんがの討伐。

建業は、まあ戻ってくればいいや、ぐらいのつもりだった。

さっそく私は建業付近に布陣していたバズモ親衛隊と砂上の楼閣の両盟主の書簡を飛ばした。

手を組もうという共闘のお願いだ。DMP保有のNPCも報酬として提示した。

後に聞くのだが、バズモ親衛隊も砂上の楼閣も建業を狙っており、ももんがが攻めてこなくてもバズモ親衛隊については1週間もすればDMPにバンザイアタックをするつもりだったらしい。

相手がバズモでも建業のDMPの布陣は一掃されていたかもしれない。

そうなったらももんがとDMPの関係はどうなっていたのか・・・、たらればの話は意味がないが、それはそれでおもしろいことになってただろう。

バズモ、砂上の両同盟も、建業が落とされてしまい、ある意味目標を失っていたため、こちらの打診に対し前向きに検討してくれた。

結果、共闘関係が成立する。DMP、バズモ親衛隊、砂上の楼閣の3同盟共闘だ。

この時点でももんが100名、DMP110名、バズモ60名、砂上60名という人数では大差がついていた。(人数の記憶あやふや)

他にもぶらぶら三国志をはじめ、DMPに協力してくれると申し出てくれる同盟が複数いた。ありがたい話である。

ぶらぶら三国志は元々ももんがとも友好を結んでいたが、DMPとの友好条約を優先し、ももんがに友好破棄の通達をしていた。(破棄まで1週間の決まり)

DMPはマップ全域にいるももんが同盟員の討伐、バズモと砂上は建業地域、と役割分担を行い戦争を行った。

建業付近にはDMPの足場がほとんどなかったので、こうするしかなかった。

建業は最初早い者勝ちで、という話が出たが、バズモの盟主ひーとさん(さんまでHN)から「まずはももんがを一掃してからおいおい考えましょう」という言葉をもらった。

DMPは建業に足場がないので、早い者勝ちになればバズモ、砂上のどちらかが落とすに決まっていた。それをわかっていてか、戦争の効率を重視してかは聞かなかったが、とにかく建業の扱いはおいておいてまず戦争を有利にしましょうということになった。熱い盟主である。

その頃ももんがも共闘同盟を探しているという情報が入ってきていたので、ももんがに加勢しそうな同盟をしらみつぶしに圧力をかけてまわった。圧力と書くと言葉が悪いが、第三者として傍観してくれとお願いをした。

いくつかの同盟は、今回の戦争がももんがから仕掛けた戦争であることを理由に参戦を見合わせた。義に欠くというやつである。

さらに、ももんがへの加勢に前向きな同盟に対しては、DMPへの協力を申し出てくれた同盟の名前が火を噴いた。

“もし参戦してきたら、○○同盟にDMP側での参戦を依頼し、貴同盟を押さえ込んでもらうことになるので、参戦はしないでね。”

という感じだ。この○○に入るのがドデカい同盟ばっかりだったので、ほとんどの同盟が参戦しなかった。

結果的に戦争終了までももんが側に加勢する同盟は現れなかった。

DMPはというと、3同盟で数で勝っているのにも関わらずさらに戦争が有利になるよう外交を続けた。

1対1の正々堂々とした戦争も好きだが、負けたらら意味がない。

この戦争では勝つために考えうるあらゆる手段を講じた。

そこまでして勝ちたいか?と聞かれればこう答える。

「勝ちたい」

ももんがの同盟員が10名ほど落ち、建業付近ももじりじりと押していた矢先、こんな情報が飛び込んできた。

ももんがが建業を手土産にぶらぶら三国志同盟の支部入りを打診。

これはほんとにびっくりした。

建業捨ててでも戦争に勝つ!という強い意志に表れである。

ぶらぶら三国志がももんがに友好破棄の通達を出して、友好が切れる直前だった。

ももんが最後の一発逆転策だろう。

ぶらぶら三国志は統一を狙う鯖随一の戦闘集団である。

建業が手に入るなら、ももんが側に付くということも大いにありえた。

DMPとぶらぶら三国志で話し合いがもたれた。

私は、ぶらぶら三国志に「ももんがからの打診を蹴ってくれ」とお願いした。

正直、これは無茶なお願いである。統一狙ってる同盟に対して、城の手土産をスルーしろと言っているのだ。

もちろん、ぶらぶら三国志にとってDMPを敵にまわすのは得策ではないだろうし、最初に結んだ強固な友好条約を遵守してくれという意味もある。

しかしこの交渉ばかりは、そういうネゴシエーションは一切せず、平にお願いした。

DMPも制圧TOPが目標だったので、建業がもしDMPの手元に戻ってきても、ぶらぶら三国志に差し出せるわけではなかった。

とにかく条約を守ってくれ。そうお願いしたのだ。

ぶらぶら三国志は呑んだ。

「偏にDMPのために」という言葉をもらった。

この瞬間ぶらぶら三国志には大きな恩ができたと思った。

ブラ三の外交ではそれぞれの思惑、策略、情などありとあらゆる感情が裏に潜んでいるわけだが、こういうこともあるのだたなと思った。

と、そのころ、砂上の楼閣が建業を落とした。

建業の扱いは後回しだったはずだ。砂上の楼閣に真意を問いただしたところ、「落とせると思わなかった」というものだった。(後で聞いた話だと、早い者勝ちと認識していたとのこと。)

とりあえずは結果オーライということにした、いつか落とさないといけないものだったからだ。

その後DMPの前線部隊も建業付近に拠点を展開し、建業付近のももんがの砦を3同盟で一掃した。

DMPが隣接していたももんが勢力もほぼ全て制圧しており、戦う戦線がほぼなくなったところで戦争終結。

ももんがからの宣戦布告から1ヶ月が過ぎていた。

長かった、そしてももんが強かった。数で劣っている中、よくぞあれだけ戦ったと思う。

ももんが、DMP、バズモ、砂上の4同盟は、終戦協定を話し合い、要約すると以下のように決まった

・ももんがは解散
・ももんがの持つNPCは全て戦勝国側の自由
・ももんがの同盟員は、DMP、バズモ、砂上のどこか好きなところに編入
・まだ戦いたいももんが君主は独立同盟となって自由に戦ってよい

ももんがは負けはしたが、まだゲームに対してノリノリの君主が多かった。
またでかいことしたいぜ!そんなノリだ。(特に盟主のひなたぼっこ)

そしてももんがはまるごとDMPへの編入を決めたのである。

放置、完全農耕、まったりしたい人を除く60名近いももんが同盟員がDMPに編入した。

ももんが同盟員とは速攻で仲良くなった(と思っている)。

戦争した相手と仲良くなる、それは義侠時代から変わらぬ風習だ。

こうしてDMPは170名近い巨大同盟となるのである。

第八章へ続く

鮫肌歴史書 第六章「武将砦の攻略と同盟の分裂」

一騎当千という少人数ながら精鋭揃いの同盟もDMPに合流した。

この時点でDMPは

武将砦:「木亀」「白鳥」「長沙」「下ロ」「北平」 城:「建業」「洛陽」

という隣接を保持していた。今思うと恐ろしい成果である。

「白鳥」「長沙」は別の同じ同盟と競合してたため、外交により「白鳥」を譲り、分け合うことにした。

そして攻略順を決めるのだが、本来、競合で且つもっとも狙われやすいNPCを最初の目標にすべきである。この場合ぶらぶら三国志が隣接している洛陽がそれだった。

しかし洛陽は★9の城で、もっとも敵数の多いNPC城だ。第二期ということもあり、戦力が第一期から大幅に増えているという情報も得ていたので、洛陽電撃攻略はかなりの危険性も秘めていた。

さらにぶらぶら三国志との関係も悪化しかねない。

そこで下した決断は

「木亀」→「長沙」→「下ロ」→「北平」→「建業」→「洛陽」

という順序での攻略である。落としやすいものからテンポよくどんどん落としていく方針に決めた。

北平と建業は完全に囲っているので後半に、洛陽は、まあその時期にはもう落とされているだろうが、一応残ってたら最後に落とすことにした。何があるかわからないのがゲームの常だ。

「木亀」→「長沙」→「下ロ」ここまでの攻略はDMPのメンバーの精度の高さにびっくりした。

殲滅が3秒以内というのがほとんどだった。

1発1発が強烈なので、3発以内に殲滅し終えるのがほとんどだった。
22時00分00秒から殲滅開始と指示して、22時00分02秒着弾の部隊が空ぶるのである。どんだけだよ。

そしてここで大きな事件がおこった。

同盟内の内輪もめなので詳しくは書かないが、同盟内が割れた。

幹部と幹部の対立と言えるものだった。
(片方がワケありでルール違反、片方がそれを責めるという構図)

両方を説得し、なんとか同盟を1つにまとめるために奔走した。

もしかするとこの時が一番しんどかったかもしれない。

人間模様というのは様々で、ブラウザ三国志はそれがモロに出る。そして衝突する。
ゲームといえど、本気であればあるほどぶつかる。

現実の世界と同じようにルールが存在し、現実の世界と同じように破られることがあり、現実の世界と同じように破る理由がある。

この揉め事の時に例として出したのだが

「自動車を運転していて救急車がきたためによかれと思い信号を無視して車をどけたら後で信号無視を咎められた」

「いやあれは救急車が来ていたタイミングではない」

うむ、やはりブラ三はリアルである。(遠い目)

第7章へ続く

鮫肌歴史書 第五章「義侠第二期開始」

第二期開始の前に第一期の歴史書モードの話を少し。

このゲームはアクティブなメンバーの割合が大きい同盟が強いと感じでいた私は、2期がはじまる前から布石を打っておいた。

2期も義侠を立ち上げることの告知、そしてランク同盟との再度の合流だ。

ランクは強かった。2期目も組めれば確実に強い同盟になる。そう思い、ランクの主要メンバーに、来期も合流を目指してお互いがんばろうと約束をしておいた。

そして義侠の盟主として第二期をスタートした。

一期と違い、最初から組むメンバーがある程度決まっている状況だと、あっという間に同盟の枠が足りなくなるので、他の同盟と同じように義侠も支部を作った。

しかし支部の数は2つだけ、それ以上はあえて増やさなかった。

これはゲーム終了時に、本部と支部複数という別れた形でのフィニッシュが嫌だったからだ。

最後は全員1つに合流して、1つの同盟で制圧TOPを目指したかった。

本部は本部、支部は支部で独立独歩という運営方法もるだろうが、あまり大きくなりすぎないように注意を払った。

天下統一を目指すのであれば、単体の同盟では厳しいだろうが、義侠は制圧トップを目標としており、天下統一が目標ではなかったのだ。

そして序盤は武将砦、城への隣接スタートダッシュである。

義侠はNERO、練馬の呑兵衛といった初期メンバーを中心に、中央、洛陽の隣接を目指した。

かなりの速度で隣接にせまったが、ぶらぶら三国志同盟(この時期の同盟名は「足酢と愉快な仲間達」)がびっくりする速度で隣接してしまい、あと2マスのところでスピード勝負で負けてしまった。

隣接は1マス残ってたが★9なので当分誰も取れない。

ぶらぶら三国志はASISというmixi1、2鯖の有名人が盟主を務める同盟である。信奉者、アンチ、どっちもたくさんいた。

ぶらぶら三国志はゲーム開始時から天下統一をすると宣言していた。1期からその根回しもしていたようだった。ゲーム開始時から統一を本気で目指していた同盟は他に知らない。(謳うだけの同盟はいっぱいいるが)

義侠の目標は前期達成できなかった制圧ランクトップである。

お互いがまっすぐ目標に向かえばかならずどこかで衝突する運命にあるのは明らかだった。

ぶらぶら三国志はASISの統一構想に惹かれた大量の一流プレイヤーが所属しており、後に戦争で証明されるが、間違いなくこの鯖最強の同盟だった。

私は発狂(義侠の盟主補佐をしてもらっていた)と相談し、ぶらぶら三国志と初日に友好条約を結んだ。

書面によるしっかりとした条約で、お互い不可侵、第三国に攻められた場合可能な限り協力する、どこかを攻める場合も可能な限り協力する、破棄には1週間必要、といった内容だった。

どうなるにしろ、序盤でぶらぶら三国志と敵対するほど無意味なことはない。

洛陽の隣接に失敗した義侠は、通常NPCの隣接と木亀砦(武将砦)の隣接を狙った。
こちらはなんとか成功し、木亀砦周辺も、ほぼ征圧できた。

最初の1ヶ月半は着々とNPCの隣接と攻略、兵器を溶かすお茶目な展開、同盟規模を大きくし支部から人員の引き上げ、ランクとの合流に向けて全力寄付を行っていた。このあたりの5週間が一番平和だった(遠い目)。

といってもかなりの速度でNPCを攻略、僻地の開拓、寄付を行っていたのでやることはいっぱいあった。

びっくりしたのは同盟規模がそれほど変わらないランクが義侠の倍近いスピードでNPCを攻略していたことだった。義侠には寄付の負担があったとはいえ、ぶっちぎりダントツの制圧ランクトップ、まさに独走だった。

ランクは建業(城)と北平(武将砦)なども完全に囲い込んでおり、もっとも順調な同盟といえた。

これではランク側に義侠と組むメリットを与えれない、ということで洛陽の残り1マス(★9)をゲーム開始1ヶ月で取得する荒業に出た。

後に指揮官としても大活躍する朶思大王にその任務を依頼。

まず資源を貯めまくって近くに砦建設、兵士小屋3種、鍛冶、武器レベルを即完了で一気にあげ、3種下級兵士を一気に生産し、なんと砦建設から2日で★9を攻略した。

この攻略用砦は同盟員で受け渡しあって洛陽付近の★9をがっつりいただくのにも大いに役立った。(後に砦ローリング作戦としてブログに投稿

洛陽の隣接に成功して、これで城と武将砦に隣接し、少しはマシな成果になったと思う。

そしてまとめてランクを受け入れれる枠ができ、一ヶ月ぶりの合流となった。

合流後は昔ながらのメンツとの再会を懐かしんだ。

ついでにもちろんだが制圧ランクトップに躍り出た。ランクマジヤバイ。

同盟名も、再度のデスメタルポンキッキーズ(DMP)となった。

自分が考えた同盟名での盟主という立場は感慨深い。
大所帯になったこともあり、身が引き締まる思いだった。

第六章へ続く

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