DMP内部では、この日までにいろいろと揉めていた。私が外交を隠密に進めていたため、情報が降りてこないという同盟員からの不満も噴出していた。
元々情報は定期的に公開していたが、状況がシビアになるにつれ、外部に漏れるわけにはいかない情報が増えてきており、幹部だけに公開、中には自分ひとりで抱える情報も出てきた。
情報を全てオープンにし、全員で意思決定する民主主義同盟運営、幹部だけで意思決定する幹部同盟運営、どちらも一長一短だとは思うが、ゲーム後半、私は後者に傾いていた。
本気でやっている人ほど不満が出るはずだ。何も聞かされずに「待て」といわれ続けるほどフラストレーションがたまることはない。
毎晩悩み続けたが、最後の同盟の方針を決める判断は同盟員に委ねることにした。同盟員全員で決をとるのである。
漏れたら漏れたでどうにかなる。それより全員悔いが残らないようにしようと思った。
最後の選択肢の中には、ぶらぶらと敵対、何もせずにこのままゲーム終了まで待つ、などこの時点で考えうるあらゆる選択肢を用意したつもりだ。
結果は、大差をつけて「許昌奪取、統一に向けて突っ走る」が選ばれた。
なんだかんだでDMPの同盟員はやる気まんまんなメンバーが多かった。
そしてDMPとno-con!が開戦、真正友情がぶらぶら三国志の成都へ突撃する日がやってきた。
19:00
真正友情と、共闘グループ(真正友情同盟を筆頭にした巨大連合)の400以上の部隊が成都に突撃開始。敵襲400とか大人気にもほどがある。
ぶらぶら三国志は成都に40万の兵士を詰め込み迎え撃つ。タコトローと戦争をしながら城に援軍で40万詰め込むのである。どんな国力だ。
21:30
DMPがno-con!に宣戦布告。宣戦布告から攻撃開始まで30分。ほぼ奇襲である。
22:00
DMPがno-con!に攻撃開始。狙いは許昌。
22:00着弾で許昌、no-con!盟主、重要拠点へDMPの斥候部隊が総数3万以上の斥候騎兵を派兵。偵察結果は、許昌は防衛20万、no-con!盟主は3万・・・・3万!????
そもそもDMPが攻撃をしかけてくることは容易に想像できたはずなので、てっきり大量の防衛兵で固めていると思っていた。許昌は案の定だが、盟主の防衛兵力の少なさに驚いた。
許昌、盟主両方の援軍が大量の場合、全域で個別にno-con!君主を落として、総力を削った後に許昌を狙うつもりだったが、運良く盟主の援軍が少ない。時間が大切な現状、電撃しない手はない。
戦闘開始から15分、no-con!盟主電撃戦の実行を決断。
事前に計画していた作戦を実行した。
1.no-con!盟主の2マスに領地を持つno-con!同盟員を落とし配下化し足場を作る
2.主砲による本拠隣接領地への突撃領地化
3.隣接を砦化し隣接の長時間確保
4.電撃主砲部隊による中距離からの主砲と兵器部隊の発射
23:00
no-con!盟主への隣接に成功する。あまりの速度での隣接成功に、DMP一言掲示板は盛り上がる。
「はえぇええええええええ!」
「GJ!」
このno-con!盟主への隣接は、朶思大王指揮のもと、元ももんがの部隊がメインで実行したのだが、さすがというべき連携だった。
この時間帯、真正友情の成都大突撃も並行して行われており、鯖が不安定になり、こちらの作戦にも影響がではじめる。
前期建業突撃時の悪夢が脳裏をよぎるが、大きな問題は起こらず、なくなんとか作戦を続行できた。
運営による鯖の増強か鯖チューニングのおかげだろう。運営の皆様お疲れ様です。
26:00
DMPは全域でno-con!同盟と電撃戦を開始していたため、既に10名以上のno-con!君主が陥落していた。
DMP陣営と隣接するno-con!君主の座標を元に、全9師団にわけて戦闘を行っていたが、全地域でかならずこちらが勝つか、すくなくとも拮抗するように分担ししていたのだ。
こうした事前準備はハマれば大きな成果をもたらす。全ての地域を把握し、適切な師団分けを行ったのは一期からのつきあい、当時は戦略担当の発狂である。こうした一段上の視点から戦略をたてれる人材は稀である。
そして26時すぎ、ついにno-con!盟主を陥落させる兵器が着弾した。
が・・・・篭城で回避された。
おそらく26時台(2:00)からの篭城開始だと思われたので、7:00以降に着弾する兵器部隊の結果を待った。兵器着弾前にはDMPの誇るきむの主砲が待ち構えていた。
翌朝9:00
no-con!盟主陥落。no-con!はDMPの配下となった。
戦闘開始から11時間の電撃戦だった。
no-con!君主は20名弱が陥落し、DMPの陥落者は0。会心の戦争だった。
戦争開始時にINできずに、朝起きて参戦しようとINしたらもう終わってた、という同盟員も数名いた。
興奮しつつも、ほっとした気分で成都の様子を見た。
そこはかつてない地獄絵図が広がっていた。
合計400万の真正友情、及び共闘グループの兵士達の死体、数万の破壊された兵器が散乱し、あたり一面に死臭が立ち込めていた。
成都の中のぶらぶら三国志防衛兵の被害は15万人。
400万人対40万人の戦争で、である。
成都は敵のメイン部隊着弾時間帯に完全に篭城をかぶせ、実質80万人の防衛力に強化(篭城で防御力2倍)、さらにランチェスターの法則が炸裂して、死者比率が恐ろしいことになっていた。
ぶらぶら三国志兵士1人の被害で26人殺した計算になる。26倍だ。
かくして、思いもよらない速度で許昌が手に入り、真正友情の脅威が去り、残すは長安だけとなった。
この後、DMPは真正友情と不可侵を結んだ。
~第十一章へ続く~