同盟内の揉め事もおさまりそうかというタイミングで北平の攻略が開始された。
揉めてはいてもスケジュールは守る。それがプロフェッショナルである(キリッ
とりあえず北平攻略が終われば念願の城(建業)だ、一致団結して城を攻略してまた元通りに、と楽観的なことを考えていた。
そしてももんが!同盟より戦線布告が届いた。
簡単にももんがの状況を説明すると、ももんがは規模こそDMPより小さいものの、同盟ランク1ページ目の同盟で、1期から戦争に強いという噂を聞いていた同盟だ。
そして今期ももんがは建業付近に大量に砦を布陣していた。建業付近はももんが以外に中堅同盟のバズモ親衛隊、砂上の楼閣の2同盟が砦群を築いていた。つまり4つの同盟がひしめき合うカオスな地域になっていた。
DMPはというと、防衛布陣をもっと早く敷くべきだったのだが、正直怠ってた。
上記3つの同盟とDMPだと、建業付近ではDMPが最も砦の数が少なかったと思う。
囲い込んでるからと安心するのは大間違いだった。今は戦乱の世なのだ。
後からももんがの人に聞いた話だが、DMPの情報はももんがに漏れており、北平の攻略にあわせて宣戦布告してきたらしい。多くの主砲が北平に移動中なのだ。
急遽防衛体制をとったものの、準備万端で攻め込んできたももんがを跳ね返す戦力は建業付近にはなかった。
数日で建業付近の砦、領地は一掃され、近くに本拠地があった2名のDMP同盟員が落とされた。
唯一★9の領地が一つ残り、援軍お詰め込んで、最後までここだけは落ちなかった。
所持していたのはDMPの「みるくちゃん」。
個人的に「みるくちゃんのブラックホール」と呼んでいた。
(援軍詰め込んだレベルMAXの★9は全ての敵兵を飲み込むため)
そして建業はあっさりとももんがに攻略されてしまった。
宣戦布告から3日ほどしかたってない。
DMP勢力の一掃と建業の攻略は一連の作戦だったのだろう。
DMP内部では、ももんがへの怒りと、防衛を怠っていたことへの自責(主に幹部)、鮮やかな一掃作戦と建業攻略の手際のよさから、ももんがやるなぁ、という雰囲気だった。と思う。
そしてももんがより停戦交渉の書簡が届いた。
しかし内容はほぼ降伏勧告である。
大人な一部のDMP同盟員は、ももんがに洛陽攻略の手助けしてもらおう、という人もいたが、ほとんどの同盟員はこの書簡を見て激怒した。
よろしい、ならば戦争だ。
(当時の同盟員への檄文はこちら)
「鮫肌が狂った!」と言われたりした。その後ちゃんとまともな檄文も送った。
ネタをネタと(ry
この時の対ももんが戦争でのDMPの目標は
落とされた二人の救出>ももんが討伐>建業の奪取
とした。
直前に同盟存続を揺るがしかねない内部の揉め事があったため、この戦争をきかっけにして、また一つにまとまらないか、という盟主としての思惑もあったので、最優先を「仲間の救出」にした。
次に怒りの対象であるももんがの討伐。
建業は、まあ戻ってくればいいや、ぐらいのつもりだった。
さっそく私は建業付近に布陣していたバズモ親衛隊と砂上の楼閣の両盟主の書簡を飛ばした。
手を組もうという共闘のお願いだ。DMP保有のNPCも報酬として提示した。
後に聞くのだが、バズモ親衛隊も砂上の楼閣も建業を狙っており、ももんがが攻めてこなくてもバズモ親衛隊については1週間もすればDMPにバンザイアタックをするつもりだったらしい。
相手がバズモでも建業のDMPの布陣は一掃されていたかもしれない。
そうなったらももんがとDMPの関係はどうなっていたのか・・・、たらればの話は意味がないが、それはそれでおもしろいことになってただろう。
バズモ、砂上の両同盟も、建業が落とされてしまい、ある意味目標を失っていたため、こちらの打診に対し前向きに検討してくれた。
結果、共闘関係が成立する。DMP、バズモ親衛隊、砂上の楼閣の3同盟共闘だ。
この時点でももんが100名、DMP110名、バズモ60名、砂上60名という人数では大差がついていた。(人数の記憶あやふや)
他にもぶらぶら三国志をはじめ、DMPに協力してくれると申し出てくれる同盟が複数いた。ありがたい話である。
ぶらぶら三国志は元々ももんがとも友好を結んでいたが、DMPとの友好条約を優先し、ももんがに友好破棄の通達をしていた。(破棄まで1週間の決まり)
DMPはマップ全域にいるももんが同盟員の討伐、バズモと砂上は建業地域、と役割分担を行い戦争を行った。
建業付近にはDMPの足場がほとんどなかったので、こうするしかなかった。
建業は最初早い者勝ちで、という話が出たが、バズモの盟主ひーとさん(さんまでHN)から「まずはももんがを一掃してからおいおい考えましょう」という言葉をもらった。
DMPは建業に足場がないので、早い者勝ちになればバズモ、砂上のどちらかが落とすに決まっていた。それをわかっていてか、戦争の効率を重視してかは聞かなかったが、とにかく建業の扱いはおいておいてまず戦争を有利にしましょうということになった。熱い盟主である。
その頃ももんがも共闘同盟を探しているという情報が入ってきていたので、ももんがに加勢しそうな同盟をしらみつぶしに圧力をかけてまわった。圧力と書くと言葉が悪いが、第三者として傍観してくれとお願いをした。
いくつかの同盟は、今回の戦争がももんがから仕掛けた戦争であることを理由に参戦を見合わせた。義に欠くというやつである。
さらに、ももんがへの加勢に前向きな同盟に対しては、DMPへの協力を申し出てくれた同盟の名前が火を噴いた。
“もし参戦してきたら、○○同盟にDMP側での参戦を依頼し、貴同盟を押さえ込んでもらうことになるので、参戦はしないでね。”
という感じだ。この○○に入るのがドデカい同盟ばっかりだったので、ほとんどの同盟が参戦しなかった。
結果的に戦争終了までももんが側に加勢する同盟は現れなかった。
DMPはというと、3同盟で数で勝っているのにも関わらずさらに戦争が有利になるよう外交を続けた。
1対1の正々堂々とした戦争も好きだが、負けたらら意味がない。
この戦争では勝つために考えうるあらゆる手段を講じた。
そこまでして勝ちたいか?と聞かれればこう答える。
「勝ちたい」
ももんがの同盟員が10名ほど落ち、建業付近ももじりじりと押していた矢先、こんな情報が飛び込んできた。
ももんがが建業を手土産にぶらぶら三国志同盟の支部入りを打診。
これはほんとにびっくりした。
建業捨ててでも戦争に勝つ!という強い意志に表れである。
ぶらぶら三国志がももんがに友好破棄の通達を出して、友好が切れる直前だった。
ももんが最後の一発逆転策だろう。
ぶらぶら三国志は統一を狙う鯖随一の戦闘集団である。
建業が手に入るなら、ももんが側に付くということも大いにありえた。
DMPとぶらぶら三国志で話し合いがもたれた。
私は、ぶらぶら三国志に「ももんがからの打診を蹴ってくれ」とお願いした。
正直、これは無茶なお願いである。統一狙ってる同盟に対して、城の手土産をスルーしろと言っているのだ。
もちろん、ぶらぶら三国志にとってDMPを敵にまわすのは得策ではないだろうし、最初に結んだ強固な友好条約を遵守してくれという意味もある。
しかしこの交渉ばかりは、そういうネゴシエーションは一切せず、平にお願いした。
DMPも制圧TOPが目標だったので、建業がもしDMPの手元に戻ってきても、ぶらぶら三国志に差し出せるわけではなかった。
とにかく条約を守ってくれ。そうお願いしたのだ。
ぶらぶら三国志は呑んだ。
「偏にDMPのために」という言葉をもらった。
この瞬間ぶらぶら三国志には大きな恩ができたと思った。
ブラ三の外交ではそれぞれの思惑、策略、情などありとあらゆる感情が裏に潜んでいるわけだが、こういうこともあるのだたなと思った。
と、そのころ、砂上の楼閣が建業を落とした。
建業の扱いは後回しだったはずだ。砂上の楼閣に真意を問いただしたところ、「落とせると思わなかった」というものだった。(後で聞いた話だと、早い者勝ちと認識していたとのこと。)
とりあえずは結果オーライということにした、いつか落とさないといけないものだったからだ。
その後DMPの前線部隊も建業付近に拠点を展開し、建業付近のももんがの砦を3同盟で一掃した。
DMPが隣接していたももんが勢力もほぼ全て制圧しており、戦う戦線がほぼなくなったところで戦争終結。
ももんがからの宣戦布告から1ヶ月が過ぎていた。
長かった、そしてももんが強かった。数で劣っている中、よくぞあれだけ戦ったと思う。
ももんが、DMP、バズモ、砂上の4同盟は、終戦協定を話し合い、要約すると以下のように決まった
・ももんがは解散
・ももんがの持つNPCは全て戦勝国側の自由
・ももんがの同盟員は、DMP、バズモ、砂上のどこか好きなところに編入
・まだ戦いたいももんが君主は独立同盟となって自由に戦ってよい
ももんがは負けはしたが、まだゲームに対してノリノリの君主が多かった。
またでかいことしたいぜ!そんなノリだ。(特に盟主のひなたぼっこ)
そしてももんがはまるごとDMPへの編入を決めたのである。
放置、完全農耕、まったりしたい人を除く60名近いももんが同盟員がDMPに編入した。
ももんが同盟員とは速攻で仲良くなった(と思っている)。
戦争した相手と仲良くなる、それは義侠時代から変わらぬ風習だ。
こうしてDMPは170名近い巨大同盟となるのである。
~第八章へ続く~